男性ヴィジュアル誌はなぜ失敗するのか【再録】

text by 水本犬太郎(当時のいくつかのペンネームのひとつ)

この原稿は、1997年に宝島社から出た、『別冊宝島 雑誌狂時代』のために書いたものです。なにかのたしになるかと思い、いちど放棄したサイトから掘り返しました。インターネット・アーカイブではこちらに格納されてます。
http://web.archive.org/web/20050212123342/http://www.big.or.jp/~solar/takarajima/visual.html


団塊世代の自己満足としての
硬派ジャーナリズム

『DAYS JAPAN』という雑誌を覚えているだろうか。80年代の終わりに鳴り物入りで創刊され、わずか一年で廃刊に追い込まれた、あの大判のビジュアル・ジャーナリズム誌を。

チェルノブイリ原発事故の衝撃の余韻冷めやらぬ1988年に講談社から創刊された『DAYS JAPAN』は、原発の危険性を独特のアジテーション文体で説いた『危険な話』で当時話題の作家だった広瀬隆の連載など、硬派なジャーナリズム記事を、ふんだんなグラビア写真とともに掲載した、それまでの日本には類例のないタイプの雑誌だった。

この雑誌の編集長を務めたのは土屋右二。講談社で『婦人倶楽部』『ホットドッグプレス』などの編集長を歴任した、エース編集者だった。広瀬隆だけでなく、猪瀬直樹、立松和平、玉木正之、橋本治、宮本勝典など、当時40歳前後で脂の乗りきっていた「団塊世代」の執筆者を並べ、『DAYS』はあたかも日本版ニュージャーナリズムここにあり、と思わせる強力なラインナップを誇っていた。記事のクオリティも決して低くなく、これでようやく日本にも本格的 なジャーナリズムが根付くかもしれない、と期待させるに十分な風格を備えた雑誌だった。

破局はあっけなく、しかも突然やってきた。有名人タレントの講演料に関する記事の事実誤認に関するクレームに対して、講談社は即座に同誌の廃刊を決定する。読者も唖然とするほど、あっという間の出来事だった。この後相次いで創刊する数々の「ビジュアル・ニュース誌」の運命を予言するかのように、『DAYS JAPAN』は創刊から一年ちょっとで、この世から姿を消し た。

『DAYS』廃刊の本当の理由は、当時からいろいろと取りざたされた。ひどい金食い雑誌だったのに、広告収入が思うように増えなかったから、会社は廃刊のタイミングを待っていたのだ等々。おそらくそれは、少なくとも一部はあたっていたのだと思う。

80年代に入って出版社のビジネスは、明らかに変質しはじめていた。活字離れによる書籍の低迷、俗に業界で「雑高書低」とよばれる事態はいっこうに改まらず、出版社はその命運を、新創刊雑誌が開拓してくれるはずの新しい広告収入に賭けようとしていた。

ときはあたかもバブル絶頂期。しかも、その消費の鍵を握っていたのは、『DAYS』の中心的執筆者たちと同じ、中年をむかえた「団塊世代」だっ た。20年前にはカクメイを夢みて「右手に『朝日ジャーナル』、左手に『少年マガジン』」(逆だったかもしれない。まあ、どっちでもいいのだ)と豪語した世代のことだ。おそらく「ジャーナリズム」という言葉にはどこか彼らの青臭い正義感の残り火を刺激するものがあったのだろう。「ビジュアル(バブル)」な「ジャーナリズム(正義感)」というのは、彼らのそんな引き裂かれた二つのペルソナの象徴だった。

しかし、バブルはあくまでバブルだった。つまり、「ジャーナリズム」に金を出せるような景気のいい人間なんて、当時からそんなにいなかったのだ。

「ジャーナリズム」から
「カルチャー」への転身

だが、そうは思わない出版社がたくさんあったのだ。あるいは、そう信じないと、出版社には未来はないと思えたのかもしれない。

『DAYS』廃刊から二年後の九一年、文藝春秋から『マルコポーロ』、集英社からは『BART』が相次いで創刊される。それだけではない。

『DAYS』で懲りたはずの講談社も、『VIEWS』という似たようなコンセプトの雑誌をふたたび創刊した。このうち、『マルコポーロ』はフランスの『パリ・マッチ』誌、『BART』はドイツの『STERN』誌との提携による、「国際派ジャーナリズム雑誌」を謳っていた。

日本人の海外ブランド信仰はそのときに始まったことではない。だが、いくらブランドに弱いとはいえ、一般の日本人のどのくらいが『パリ・マッチ』や『STERN』を知っていただろう。しかも、当時すでに日本人の多くは、国際と名がつけばなんでもありがたがるほどウブではなかった。海外とか国際という言葉は、一般庶民にとってさえ、憧憬の対象というより、強い「円」の力で物を買いあさる、消費の対象でしかなかった。ウブだったのは、おそらく、編集者という「井の中の蛙」だけだったのではないだろうか。

まるで志半ばで倒れた『DAYS』の水子の霊がとりついたかのように、「国際派ジャーナリズム」を謳った雑誌は軒並み低迷を続ける。しかも、時代はすでに90年代に突入していた。「バブル経済」が崩壊するまで、ほんのわずかな時間しか残されていなかった。

迷走を続ける「ビジュアル・ジャーナリズム誌」が「国際派」の次にすがったのは、辣腕の名物編集長という幻想だった。『マルコポーロ』は元『クレア』編集長・斉藤禎を起用してリニューアルに着手。ジャーナリズム路線から一転して「カルチャー」路線へ転身する。キャッチフレーズは「ニューエイジ文藝春秋」。もうどこにも「国際」も「ジャーナリズム」もなかった。「進め、マンガ青年」「あやしい女子高生」「連合赤軍なんて知らないよ」——この時期の『マルコポーロ』には、遅れてきたサブカル青年編集者が頭の中だけで考えたような、恥ずかしい企画が次々に紙面を飾った。

でもこれは、『朝日ジャーナル』がだめなら『少年マガジン』だ、とマスターベーションする手を右手から左手に変えただけのことだった(左手から右手かもしれないが、どっちでもいいのだ)。しかし20年前の時代への郷愁で雑誌を作っても、変化のスピードが早くなっている90年代という時代に、ついていけるはずなかった。

『マルコポーロ』だけではない。いかにもバブル期を象徴するようなグルメマガジンとしてスタートした『バッカス』は、バブル崩壊とともに編集方針を一転、なんと元『DAYS』編集長の土屋氏を招いてカルチャー路線へ転換をはかる。『VIEWS』『BART』といった雑誌も、表だってジャーナリズム風をふかせるのをやめて、芸能ネタ、スポーツネタ、あるいはセックス記事などを大きく採り入れ、軟派な編集方針へと変わっていく。

ようするに、金のかかる国際派ジャーナリズムを維持できる金がなくなって、ドメスティックなカルチャーの話題で済ますことにしたということだろう。そのくらい、「カルチャー」というのは金のかからないお手軽なものに成り下がっていたのだ。しかし、90年代のソフィスティケートされたサブカルチャーは、オッサン編集者がマスをかく手で捕らえられるほどヤワではなくなっていた。

サブカルチャーを60年代の発想でしかとらえられない大手出版社の貧困な発想では、Macintoshによるデスクトップ・パブリッシング(DTP)という新しい武器を手に、続々と創刊される本物のサブカルチャー雑誌に太刀打ちできるはずもなかった。

「スター編集長」という
 繰り返される「幻想」

バブル崩壊から日本経済が少しづつ立ち直ろうとしていた九四年、扶桑社から『パンジャ』という雑誌が創刊される。編集長は旧態依然の週刊誌『週刊サンケイ』を、90年を代表するビジュアル週刊誌『SPA!』に生まれ変わらせた功績者の渡辺直樹。『SPA!』での成功のノウハウを、今度は月刊誌に生かすことを期待されての起用だった。余談ながら、『SPA!』成功の原動力になった連載こそ、団塊世代マンガ家・小林よしのりによる、「マンガとジャーナリズム」の一体化した『ゴーマニズム宣言』だったことは記憶しておくべきだ。『朝日ジャーナル』と『少年マガジン』は、『ゴー宣』という形で、20年以上の時を経て結ばれたのだ。

ゆきすぎたサブカル路線から、中道路線への復帰を期待され、『マルコポーロ』編集長として元『週刊文春』のスター編集長・花田紀凱が起用された のもこの時期だ。まるでかつてのジャイアンツにおける「長島監督待望論」のように、ビジュアル月刊誌建て直しに名物編集長の辣腕を期待する、というパターンを出版社はまたしても踏襲することになる。

その結果がどうなったか、もはや詳しく書く必要はないだろう。花田編集長による『マルコポーロ』は、まるで『DAYS』廃刊時の経緯をなぞるように、「謝った報道記事への抗議に謝罪の意を示すため」、突如廃刊へ追い込まれる。花田はその後、あれほど『週刊文春』時代に叩いた朝日新聞社から女性誌 『UNO!』編集長に乞われるが、同誌もまもなく休刊と噂されている。

花田だけではない。『パンジャ』も『SPA!』のような話題にはまったくならず二年で休刊。しかも渡辺直樹は今年創刊されたばかりの『週刊アスキー』を、編集長として半年さえもたせることができなかった。「スター編集者」の肩書きがいかにあてにならないかに、多くの出版社は、莫大な損失を被ることによって。いまようやく気づきつつあるところだろう。

文藝春秋は今年、コア世代にむけた新雑誌『カピタン』を創刊した。いまの30〜40代をどう呼んでいいか悩んだ末の、明らかに苦し紛れのネーミングだが、ようするに若者ぶるのにも疲れはて、ジャーナリズムにもカルチャーにも興味がないという、いまの中堅サラリーマンたちのことのようだ。いいかげん懲りたのか、判型こそ『文藝春秋』より大きいものの、この雑誌には『マルコポーロ』のようなビジュアル性は薄い。

だが、『文藝春秋』のような旧弊な雑誌が、いつまでもスタンダードであり続けるはずはない。公然とダサさを前面に出してまで、長すぎたビジュアル誌幻想に別れを告げた『カピタン』の行方は、そういう意味でも注目に値する。

copyright 1997 Mizumoto Kentaro/Sora tobu kikai

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