高橋源一郎『恋する原発』書評

「3・11以後、小説を書くことは困難になったか?」。この問いへの答え如何で作家の文学観がわかる――そんな時代になってしまった。

いわゆる「自然主義リアリズム」の立場をとるなら、あの事件以後、小説に描かれる具体的な場所や時間に、言外の意味が生ずることを認めざるを得ない。こうした創作上の制約から逃れたければ、「なにごとも起きなかった世界」を舞台に、説得力をもって物語を紡がなければならない。東日本大震災はこの難問を作家たちに突きつけた。

そんな理由から、日本のポストモダン文学の牽引者であるこの作家が東日本大震災の後にいったいどのような小説を書くのかを、とても楽しみにしていた。

『恋する原発』は、作中に登場する被災地へのチャリティー用アダルトヴィデオの題名である。「チャリティーとAVをいかにして両立させるか」に懊悩する監督イシカワを語り手に、ミュージカル調のAVのメイキング・オブという体裁で物語は進む。その過程でイシカワの上司である社長、会長、そしてイシカワ本人の個人史におけるトラウマと性的な趣味嗜好との関わりが明かされる。性(生)と死という重いテーマが軽やかに描かれ、デビュー作に対して当時吉本隆明が「ポップ文学」という言葉で賞賛した美質がラジカルに突き詰められている。

作品の終盤に文芸評論を模した章が唐突に差し挟まれる。この中で「ぼくはこの日をずっと待っていたんだ」と語ったとされる「ある人」と同様に、この作家もまた、今回の震災によって「書くこと」の困難ではなく、その積極的な意味を見出した一人だろう。現実に起きた出来事から文学表現の自律性を守りつつ、現実の出来事からも決して目を背けないというアクロバットをやってのけた本作は、 デビュー三十年の記念作にふさわしい、文句なしの「ポップ文学」の傑作である。

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