東京都現代美術館に会田誠の展示を見に行ってきた

7月26日の日曜日は上京しているアーティストの友人二人と下北沢で会う約束をしていたのだが、東京都現代美術館でやっている展覧会「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展で会田誠の一部の作品が撤去されてしまうかもしれないと知り、だったらその前に觀ておきたいと思い三人で清澄白河まで足を伸ばした。

動機はあくまでも「撤去される前に実物をみておきたい」ということ、それ以上でも以下でもなかった。ただ、ネット上では「檄文」の画像や文面しか伝わってこず、もう一つの「安倍首相に扮したらしい映像」がどのようなものか、まったく想像がつかなかった。なので、自分としてはそれを観たいという気持ちが大きかった(「檄文」への評価はネットだけでもおおよそできたし、実物をみても変わらなかった)。

さて、実際に東京都現代美術館に行ってみると、親子連れのお客さんがかなりいるものの、恐れていたほど混み合ってはいなかった。常設展のほかに三つの展覧会が行われており、そのうち一つが会田誠も出展した「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展、ほかに子どもを対象とした「きかんしゃトーマスと なかまたち」展、そしてブラジルの建築家「オスカー・ニーマイヤー」展もやっていた。二つ以上見ると割引になったので、我々は「オスカー・ニーマイヤー」 展と併せて観た。

(会場は撮影可で、他の客の肖像権に配慮すればネットにも公開してもいいと受け取れる表示だったので、参考までに一部を掲載する)

まず全体的な感想を述べると、「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展は、期待以上にいい展覧会だった。出展者は、ヨーガン・レール、「はじまるよ、びじゅつかん」(おかざき乾じろ 策)、会田家(会田誠、岡田裕子、会田寅次郎)、アルフレド&イザベル・アキリザン。このうち「はじまるよ、びじゅつかん」は子ども限定の展示だったので見られず、他の三者の展示をじっくり観た。

お客さんがいちばん集まっていたのは「会田家」の展示スペースで、空間配置的にも、ほぼメイン会場という扱いだった。展示作品数はかなり多く、会場をみっしりと埋めていた。「檄文」はその中央にダラっと垂れ下がったシンボリックな作品とはいえようが、まじめに読んでいる人はほとんどいなかった。たぶんお客さんの大半が、この作品をめぐる騒動を知らずに来ていたと思われる。小さな子どもを連れた親子連れがここでも目立ったが、とくに困惑している人はいなかったように見えた。

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多くの人が立ち止まってずっと見ていたのが、会田誠(「会田家」のお父さん)が「総理大臣」として「国連で英語の演説をしている」つもりでしゃべっている、という問題の映像作品。じつは事前にはそれほど期待していなかったのだが、会田誠の演技はなかなかよい。壁いっぱいに大きく映像が投影されており、しかもそこで「会田誠=お父さん」が読んでいる、カタカナでよみがなが振られ、息継ぎのタイミングなどがマーキングされた原稿までが、映像の下に全文展示されるという凝ったつくりで、とても面白かった。

さて、問題とされた演説の内容はたわいないもので、政権批判などは一切ない。「お父さん」が演説で主張しているのは「グローバリゼーション」批判である。会田誠扮する「お父さん」は安倍首相に似ているといえば似ているが、あくまでも「お父さん」が拙い英語で国際舞台でしゃべっている、という設定だ。演説で 「お父さん」は、一種の「鎖国」政策を訴え、チョコレートを食べたくても我慢しろとか、インターネットを遮断しろといったむちゃくちゃをいうのだが(これは「檄文」という作品での設定と合わせてある)、最後まで観たらきちんとオチがあった。

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「檄文」と映像作品の二つはたしかに会場で目を引く場所に展示されたメイン作品だが、これ以外にも複数の映像作品、会田誠自身が会場でワークショップを行ったオリジナルの「かるた」の制作風景展示、会田が顧問をつとめるオルタナティブ人形劇団「劇団死期」の展示など、そこそこ悪趣味とはいえ、子どもにも楽しめそうな作品が数多く展示されていた。映像作品はトラブルでなんども止まっていたが、そこで子どもたちが楽しそうに踊ったりする風景もあり、全体的に、なごやかで楽しい展示になっていた。

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さて、この展覧会全体を見て思ったのは、まずもって「おとなもこどもも考える ここは誰の場所?」展は、海外招聘の2人と、こども限定の岡崎作品にくらべても、格段に会田誠の扱いが大きかったということだ。ある意味、「会田誠(会田家)展」といってもいいと思う。それだけ、作家側が展示に力を入れていたようにみえた。

海外招聘の二人の作品は「現代美術」としてみた場合、小奇麗ではあるがいささか弱く、「おとな」と「こども」がともに「現代美術」の展覧会を体験するということが企画の趣旨だとすれば、岡崎の展示はこども限定なので、やはり会田誠の起用が展覧会のコンセプトの中心にあったとみなすべきだろう。そしてそこまでは、チーフキュレーターである長谷川祐子も了解していたはずだ。

展示を実際に観ても、現代美術館側が問題とされている作品の「撤去」なり「改変」を求める理由が、作品の内容からは、私にはどうしても理解できなかった。なぜならこれは「子どもだけを対象にした展覧会」ではなく、「おとなも」「こどもも」考える展覧会であり、さらにいえば「ここはだれの場所?」ということを「考える」展覧会だからだ。むしろ会田誠は、「考える」ための契機を、本気で提供しようとしたのだと思う。

会田誠が展覧会のテーマに添ってきわめて誠実に作品を制作し、あるいは選択したことは、展示を実際にみてみればわかる。ことさらに露悪的だとは感じられず (多少は露悪的な部分はあるが、会田誠はそういう作家なのだから仕方ない)、むしろコンセプチュアルなだけで面白みが欠ける嫌いのある「現代美術」作品というものを、インスタレーションを工夫することによって、(たとえ中身がよく理解できなくても)目に留めたくなる展示にしていたのは見事だと思った。

では、問題とされている二つの作品は、会場ではどのように見えただろう。

「檄文」のほうは、檄文という言葉の意味も形式もわからない大半の人(大人も子どもも)にとって、パッと見た感じ、「下手な子どもの習字みたいな字で、なにか文句がくどくどと長く書いてある」、という印象ではなかったか。そして、実際その受け止め方でいいのだと思う。あれをわざわざ全部読む人はいない(いてもいいが)。「檄文」「文部科学省に物申す」という大きな文字も、壁に投影された映像ほどのインパクトはなく、「汚い字だなぁ」「子どもの字みたいだなあ」と、とくに子どもなら思ったはずだ。「これがアートなの?」と。

また映像のほうも、「子ども」が見れば「総理大臣の真似をしているへんな人」以外の何ものでもなかっただろう。政権批判や風刺以前に、下手な発音で、どもりながら手元のペーパーを読み上げる「お父さん」(そういう設定だと説明がされてある)は、ただの「へんな人」に見えたはずだ。けっこう面白いことを会田誠はやっているにもかかわらず、大人からも、ほとんど笑いがとれていなかったのは残念だったが。

こうしてみると、会田誠が二つの作品に込めたと思われるユーモアは、少なくとも「大人」の客にはうまく伝わらなかったようだ(「子ども」にとってどうだったかは、大人の私にはわからない)。

でも「会田家」の展示スペースは「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展でいちばんにぎわっていたし、多くの人が長い時間、ここにとどまっていた。展覧会というより、お祭り広場みたいな感じだったからだ。作品の意図がどこにあったか、それが理解されたかどうかは別として、そこはまぎれもなく 「オーディエンスのための場所」だった。

美術館はだれのための場所か。それはもちろん、オーディエンスのための場所である。一人のクレーマーのための場所ではない。

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10月12日まで続く会期の最後まで、問題とされた二つを含めたすべての作品の展示が続くといいなと私は思う。途中で作品の入れ替えや、展示方法の 変更を行なう場合は、なんとしてでも作家と美術館側が合意した上で行い、またこの展示をすでに観た「おとな」と「こども」が、撤去の理由についてきちんと「考え」られるよう、経緯とプロセスを公開し、それ自体も会期中に展示すべきだと思う。

たった一人(と報道されている)からのクレームを口実とした東京都の介入により、「展示作品の撤去」という最悪の事態となってしまえば、「ここはだれの場所?」というせっかくのとてもよい問いかけが、ただのブラックジョークで終わってしまうのだから。

(2015年7月26日にFacebookに公開した文章を手直ししました)

男性ヴィジュアル誌はなぜ失敗するのか【再録】

text by 水本犬太郎(当時のいくつかのペンネームのひとつ)

この原稿は、1997年に宝島社から出た、『別冊宝島 雑誌狂時代』のために書いたものです。なにかのたしになるかと思い、いちど放棄したサイトから掘り返しました。インターネット・アーカイブではこちらに格納されてます。
http://web.archive.org/web/20050212123342/http://www.big.or.jp/~solar/takarajima/visual.html


団塊世代の自己満足としての
硬派ジャーナリズム

『DAYS JAPAN』という雑誌を覚えているだろうか。80年代の終わりに鳴り物入りで創刊され、わずか一年で廃刊に追い込まれた、あの大判のビジュアル・ジャーナリズム誌を。

チェルノブイリ原発事故の衝撃の余韻冷めやらぬ1988年に講談社から創刊された『DAYS JAPAN』は、原発の危険性を独特のアジテーション文体で説いた『危険な話』で当時話題の作家だった広瀬隆の連載など、硬派なジャーナリズム記事を、ふんだんなグラビア写真とともに掲載した、それまでの日本には類例のないタイプの雑誌だった。

この雑誌の編集長を務めたのは土屋右二。講談社で『婦人倶楽部』『ホットドッグプレス』などの編集長を歴任した、エース編集者だった。広瀬隆だけでなく、猪瀬直樹、立松和平、玉木正之、橋本治、宮本勝典など、当時40歳前後で脂の乗りきっていた「団塊世代」の執筆者を並べ、『DAYS』はあたかも日本版ニュージャーナリズムここにあり、と思わせる強力なラインナップを誇っていた。記事のクオリティも決して低くなく、これでようやく日本にも本格的 なジャーナリズムが根付くかもしれない、と期待させるに十分な風格を備えた雑誌だった。

破局はあっけなく、しかも突然やってきた。有名人タレントの講演料に関する記事の事実誤認に関するクレームに対して、講談社は即座に同誌の廃刊を決定する。読者も唖然とするほど、あっという間の出来事だった。この後相次いで創刊する数々の「ビジュアル・ニュース誌」の運命を予言するかのように、『DAYS JAPAN』は創刊から一年ちょっとで、この世から姿を消し た。

『DAYS』廃刊の本当の理由は、当時からいろいろと取りざたされた。ひどい金食い雑誌だったのに、広告収入が思うように増えなかったから、会社は廃刊のタイミングを待っていたのだ等々。おそらくそれは、少なくとも一部はあたっていたのだと思う。

80年代に入って出版社のビジネスは、明らかに変質しはじめていた。活字離れによる書籍の低迷、俗に業界で「雑高書低」とよばれる事態はいっこうに改まらず、出版社はその命運を、新創刊雑誌が開拓してくれるはずの新しい広告収入に賭けようとしていた。

ときはあたかもバブル絶頂期。しかも、その消費の鍵を握っていたのは、『DAYS』の中心的執筆者たちと同じ、中年をむかえた「団塊世代」だっ た。20年前にはカクメイを夢みて「右手に『朝日ジャーナル』、左手に『少年マガジン』」(逆だったかもしれない。まあ、どっちでもいいのだ)と豪語した世代のことだ。おそらく「ジャーナリズム」という言葉にはどこか彼らの青臭い正義感の残り火を刺激するものがあったのだろう。「ビジュアル(バブル)」な「ジャーナリズム(正義感)」というのは、彼らのそんな引き裂かれた二つのペルソナの象徴だった。

しかし、バブルはあくまでバブルだった。つまり、「ジャーナリズム」に金を出せるような景気のいい人間なんて、当時からそんなにいなかったのだ。

「ジャーナリズム」から
「カルチャー」への転身

だが、そうは思わない出版社がたくさんあったのだ。あるいは、そう信じないと、出版社には未来はないと思えたのかもしれない。

『DAYS』廃刊から二年後の九一年、文藝春秋から『マルコポーロ』、集英社からは『BART』が相次いで創刊される。それだけではない。

『DAYS』で懲りたはずの講談社も、『VIEWS』という似たようなコンセプトの雑誌をふたたび創刊した。このうち、『マルコポーロ』はフランスの『パリ・マッチ』誌、『BART』はドイツの『STERN』誌との提携による、「国際派ジャーナリズム雑誌」を謳っていた。

日本人の海外ブランド信仰はそのときに始まったことではない。だが、いくらブランドに弱いとはいえ、一般の日本人のどのくらいが『パリ・マッチ』や『STERN』を知っていただろう。しかも、当時すでに日本人の多くは、国際と名がつけばなんでもありがたがるほどウブではなかった。海外とか国際という言葉は、一般庶民にとってさえ、憧憬の対象というより、強い「円」の力で物を買いあさる、消費の対象でしかなかった。ウブだったのは、おそらく、編集者という「井の中の蛙」だけだったのではないだろうか。

まるで志半ばで倒れた『DAYS』の水子の霊がとりついたかのように、「国際派ジャーナリズム」を謳った雑誌は軒並み低迷を続ける。しかも、時代はすでに90年代に突入していた。「バブル経済」が崩壊するまで、ほんのわずかな時間しか残されていなかった。

迷走を続ける「ビジュアル・ジャーナリズム誌」が「国際派」の次にすがったのは、辣腕の名物編集長という幻想だった。『マルコポーロ』は元『クレア』編集長・斉藤禎を起用してリニューアルに着手。ジャーナリズム路線から一転して「カルチャー」路線へ転身する。キャッチフレーズは「ニューエイジ文藝春秋」。もうどこにも「国際」も「ジャーナリズム」もなかった。「進め、マンガ青年」「あやしい女子高生」「連合赤軍なんて知らないよ」——この時期の『マルコポーロ』には、遅れてきたサブカル青年編集者が頭の中だけで考えたような、恥ずかしい企画が次々に紙面を飾った。

でもこれは、『朝日ジャーナル』がだめなら『少年マガジン』だ、とマスターベーションする手を右手から左手に変えただけのことだった(左手から右手かもしれないが、どっちでもいいのだ)。しかし20年前の時代への郷愁で雑誌を作っても、変化のスピードが早くなっている90年代という時代に、ついていけるはずなかった。

『マルコポーロ』だけではない。いかにもバブル期を象徴するようなグルメマガジンとしてスタートした『バッカス』は、バブル崩壊とともに編集方針を一転、なんと元『DAYS』編集長の土屋氏を招いてカルチャー路線へ転換をはかる。『VIEWS』『BART』といった雑誌も、表だってジャーナリズム風をふかせるのをやめて、芸能ネタ、スポーツネタ、あるいはセックス記事などを大きく採り入れ、軟派な編集方針へと変わっていく。

ようするに、金のかかる国際派ジャーナリズムを維持できる金がなくなって、ドメスティックなカルチャーの話題で済ますことにしたということだろう。そのくらい、「カルチャー」というのは金のかからないお手軽なものに成り下がっていたのだ。しかし、90年代のソフィスティケートされたサブカルチャーは、オッサン編集者がマスをかく手で捕らえられるほどヤワではなくなっていた。

サブカルチャーを60年代の発想でしかとらえられない大手出版社の貧困な発想では、Macintoshによるデスクトップ・パブリッシング(DTP)という新しい武器を手に、続々と創刊される本物のサブカルチャー雑誌に太刀打ちできるはずもなかった。

「スター編集長」という
 繰り返される「幻想」

バブル崩壊から日本経済が少しづつ立ち直ろうとしていた九四年、扶桑社から『パンジャ』という雑誌が創刊される。編集長は旧態依然の週刊誌『週刊サンケイ』を、90年を代表するビジュアル週刊誌『SPA!』に生まれ変わらせた功績者の渡辺直樹。『SPA!』での成功のノウハウを、今度は月刊誌に生かすことを期待されての起用だった。余談ながら、『SPA!』成功の原動力になった連載こそ、団塊世代マンガ家・小林よしのりによる、「マンガとジャーナリズム」の一体化した『ゴーマニズム宣言』だったことは記憶しておくべきだ。『朝日ジャーナル』と『少年マガジン』は、『ゴー宣』という形で、20年以上の時を経て結ばれたのだ。

ゆきすぎたサブカル路線から、中道路線への復帰を期待され、『マルコポーロ』編集長として元『週刊文春』のスター編集長・花田紀凱が起用された のもこの時期だ。まるでかつてのジャイアンツにおける「長島監督待望論」のように、ビジュアル月刊誌建て直しに名物編集長の辣腕を期待する、というパターンを出版社はまたしても踏襲することになる。

その結果がどうなったか、もはや詳しく書く必要はないだろう。花田編集長による『マルコポーロ』は、まるで『DAYS』廃刊時の経緯をなぞるように、「謝った報道記事への抗議に謝罪の意を示すため」、突如廃刊へ追い込まれる。花田はその後、あれほど『週刊文春』時代に叩いた朝日新聞社から女性誌 『UNO!』編集長に乞われるが、同誌もまもなく休刊と噂されている。

花田だけではない。『パンジャ』も『SPA!』のような話題にはまったくならず二年で休刊。しかも渡辺直樹は今年創刊されたばかりの『週刊アスキー』を、編集長として半年さえもたせることができなかった。「スター編集者」の肩書きがいかにあてにならないかに、多くの出版社は、莫大な損失を被ることによって。いまようやく気づきつつあるところだろう。

文藝春秋は今年、コア世代にむけた新雑誌『カピタン』を創刊した。いまの30〜40代をどう呼んでいいか悩んだ末の、明らかに苦し紛れのネーミングだが、ようするに若者ぶるのにも疲れはて、ジャーナリズムにもカルチャーにも興味がないという、いまの中堅サラリーマンたちのことのようだ。いいかげん懲りたのか、判型こそ『文藝春秋』より大きいものの、この雑誌には『マルコポーロ』のようなビジュアル性は薄い。

だが、『文藝春秋』のような旧弊な雑誌が、いつまでもスタンダードであり続けるはずはない。公然とダサさを前面に出してまで、長すぎたビジュアル誌幻想に別れを告げた『カピタン』の行方は、そういう意味でも注目に値する。

copyright 1997 Mizumoto Kentaro/Sora tobu kikai

「デジタルと本のハイブリッド小説が問いかけるもの」

10月23日(木)20:00から、下北沢の本屋B&Bにて、米光一成さんと内沼晋太郎さんと僕の三人で、ロビン・スローンの傑作青春小説『ペナンブラ氏の24時間書店』をめぐるトークイベントを行います。

出演:米光一成×仲俣暁生×内沼晋太郎
〜『ペナンブラ氏の24時間書店』刊行記念

2014/10/23 [木] 20:00-22:00
主催: 本屋B&B
東京都世田谷区北沢2-12-4 2F

前売/席確保(1500yen+500yen/1drink)
詳細はこちらから。
http://bookandbeer.com/blog/event/20141023_penumbras/

pnumbra

米光さんも内沼さんも僕も歓喜したこの傑作が、なぜか巷間であまり話題になっていないことがとても不思議で、もっともっと多くの人にこの小説の面白さと、作者のロビン・スローンがやってきたことについて、わいわいと話をしてみたいと思います。

すでにB&Bにはたくさんの事前予約が入っているようですが、あらためてここでも参加表明したくださるとウレシイです。そしてFacebookだけでなくtwitterやブログなどで、どんどん拡散してください!

イベント参加申し込み済みの方の多くはすでに本をお読みだと思いますが、未読の方は東京創元社のサイトで公開されている、米光さんの巻末解説だけでも読んできてくださいね!

米光一成/ロビン・スローン『ペナンブラ氏の24時間書店』解説(全文)
http://www.webmysteries.jp/translated/yonemitsu1404.html

ちなみに作者のロビン・スローンはこんな人です。
https://www.youtube.com/watch?v=DBBhA_j_CIA

ロビンが有名になったのは、2004年に公開した「EPIC2014」という未来予測ムービーがきっかけ。当時はかなり真面目に受け取られたこのムービー ですが、『ペナンブラ氏』を読むと、「グーグルゾン」のあたりなど、かなり冗談(?)も混ざっている様子。このあたりはぜひ、当日いろいろ話題にしてみた いと思います。

EPIC2014(日本語訳字幕付き)
https://www.youtube.com/watch?v=Afdxq84OYIU

日本語の小説でいかに世界にアクセスするか

明日(17日)の夜に、久しぶりに日本の現代小説について人前で話をする機会があるので、すでにフェイスブックにいったん書き込んだ文章を少しアレンジして、そこで話してみようと思っていることを書くことにする。

まず、明日のイベントはこれです。

b6b gimp

詳細はこちらを参照。https://www.facebook.com/events/1521263458088036/
また座席の予約はこちらから。

以下、まずはフェイスブックで書いたことをそのまま転載しておく。

*   *   *

さて、スコットランド独立が果たして成立するやいなや、という歴史的瞬間まであと数日ですが、それと微妙に関係するようなしないような「日本語」と「小説」をめぐるトークイベントを、明日の夜にB&Bで行います。

お話の相手は、小説家の桜井鈴茂さん(『アレルヤ』『終わりまであとどれくらいだろう』『女たち』『冬の旅』そして新作『どうしてこんなところに※作品一覧はこちら)と、批評家の陣野俊史さん(『戦争へ、文学へ』『フランス暴動〜移民法とラップ・フランセ』『ヒップホップ・ジャパン』ほか。twitterのアカウントはこちら)。僕も久しぶりに文芸評論家として話をします(こちらの方面の著書は『極西文学論 Westway to the World』ほか)。

さて、なんでスコットランド独立と明日のトークが関連するかといえば、話題が「日本語小説」だからです。これは「日本文学」という一般的な表現への抵抗なんですが、より具体的には、水村美苗の『日本語が亡びるとき』という「愚書」(だと私は思います)が提起した、「このままでは美しい日本語の文学が亡びてしまう」というテーゼにたいして、いやいやそうじゃないだろう、ということを話してみたいわけです(ちなみに水村氏はこの愚書で、アイルランド語とアイルランド国民に対してきわめてひどいことを書いていますので、ぜひお読みください)。

いわゆるこれまで言われてきた「日本文学」ではない「日本語による小説」が呼吸をし、葉を広げていける空間が、じつは存在しているのにもかかわらず、それが見えないことになっているのがいちばんの問題なんじゃないか、その「見えない場所」こそが、世界のリアリティに接続しているんじゃないか、という桜井さんとの雑談(知り合ってからずーっとこの話ばかりしてきた気がします)が、このイベントのもとになっています。

……というわけでこのイベント、まだ残席ございますので、登壇する三人の読者の方はもちろん、それ以外にも、スコットランド独立や水村美苗『日本語が亡びるとき』や「日本語小説」という言い方に少しでも関心のある方は、ぜひ足をお運びください。あと、音楽が好きな人も!

*   *   *

ここまでがフェイスブックに書いたことなのだが、これだけだとなんのことやら、という人もいるだろうから補足する。

陣野俊史さんとのご縁は、ずいぶん前にまだ早稲田大学の文学部が一文・二文と名乗っていた頃に、彼が講義にゲストで呼んでくれたことがある。たぶん私が文芸評論をいちばんマメにやっていた2000年代半ばぐらいのことだと思うが、そのあとはずっとご無沙汰していたので、久しぶりにお会いして話をしてみたかった。

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陣野さんは集英社が刊行した『戦争✕文学』という大きなアンソロジーの別巻に「冷戦の終結と新たな戦争の時代 」という論考を書いており、また近著に『戦争へ、文学へ』という本もある(申し訳ないが未読! ※ここに著者インタビューあり)。戦争というのはまさに国家がその荒々しい姿をいちばんあらわにする瞬間だから、「戦争と文学」の関係は「国家と文学」の関係ということになる。陣野さんとはとくに、東日本大震災後に小説をどう読んだか、という話をしてみたい。震災は戦争と同じではないが、かなり同じ問題を共有しているはずだし、私も昨年に「震災後文学」について、少し考える機会があったので。

桜井鈴茂さんとは、吉祥寺に「百年」という本屋さんができたとき、そこでのトークイベントの第一弾として話をするという機会をいただいた(「百年」のウェブサイトに、『どうしてこんなところに』をめぐる桜井さんへの長いインタビュー記事あり。必読)。また上に紹介した水村美苗『日本語が亡びるとき』の問題は「百年」で桜井さんが文芸評論家の石川忠司とやった対談(短篇集『女たち』のとき。私も見に行った)でも話題になり、以来桜井さんと会うたびにその話になる。なので、一度公開の場所で思い切って話題にしてみようじゃないか、という感じにいつしかなっていたのだった。

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水村氏の件の本での主張はごちゃごちゃしてるのだが、とにかく現代日本の小説(およびその日本語)は「幼稚」で、現代の日本語は漱石鴎外の時代にくらべて劣化している。悲しいことだが英語が(かつてのラテン語のような)「普遍語」として世界で流通する時代に、知的な営為は英語でなされるしかないだろう。しかし「文学」だけは、「日本語でなされる領域」として守りたい、ああそれなのに、いまの日本文学の惨状たるや!……といった悲憤慷慨がひたすら綴られる。こまかい論旨にいくらでも穴があるので、発売当時はいろいろ批判をしたのだが、いまとなってはそれはもういい(ちなみに水村氏のこの本、冒頭のライター・イン・レジデンスでの話はだけはよかった)。

問題は、なぜ現代の日本の小説の大半が、彼女にとっては「幼稚」に見えてしまうのか、ということだ(ちなみに同書で彼女はその固有名を挙げていないが、村上春樹が念頭に置かれていることは間違いない)。なぜなら、それは近代以後の「日本文学」を大事にしてきた人たちの多くが、多かれ少なかれ、どこかで抱いている感想に違いないから。

にもかかわらず、というか、その一方で、きわめて少数の読者に向けた、ポストモダン文学の洗礼を受けてきわめてソフィスティケートされた表現(メタフィクションだったり、批評的だったり)としての「現代文学」があり、またそれらと同時に、さらにエンタメ・ミステリ・ラノベ・歴史小説といった大衆的な読み物の隆盛がある。そして、これらの読者の相互乗り入れはほとんどなされていない。

ということは、それを阻害するとてつもない「空白」というか、いまだ描かれてないリアリティのようなものがあるのではないか。つまり、日本語の小説は、なにかとてつもなく大きなものを描きそこねているのではないか、ということなのだ。桜井鈴茂の書く小説は、その巨大な「空白」という、「こんなところ」にぽつんと置かれている。そんな気がしている。

この感じ方が正しいのかどうかを、明日は桜井さんと陣野さんと三人で話してみたい。

最後に拙著の宣伝も。そろそろ次の本を書かなくちゃならないので、明日はその刺激をお二人から受けたいと思っています。

kyokusei

「事件」としての本〜「村上氏の方法論」をめぐって

なかなか書評の本編が書けないうちに外伝ばかりが先行しているが(午前中に送ります>担当者さま)、『井田真木子著作撰集』収録の「村上氏の方法論」を読んでいて、思い出したことがある。それは、なぜ自分が「文芸評論」みたいなことをやりはじめたか、ということである。

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「村上氏の方法論」とは、村上春樹の『アンダーグラウンド』という本をひとつの「事件」とみなし、彼が『アンダーグラウンド』で「地下鉄サリン事件」に対して採用したのと同様の方法論を、この本という「事件」に対して用いてみた、という短いルポ記事である。これを読んで何を思い出したかといえば、それは自分も、「本とは事件である」と思って、本についての文章を書くことから、意識的な物書きになったという「事実」である。

私見では、本には「日常としての本」と「事件としての本」がある。そして世にある大半の書評は、前者に対する「採点」「評価」としてなされる。でもごく稀に、世間にとって、あるいはごく少数の限られた読者にとって、「事件」としかいいようのない本が存在する。自分が本について書くことを面白いと思えたのは、後者のような本についてなら、「それについてのノンフィクションが書けるのではないか」と思ったからだ。

たとえ、対象となる本がフィクションだとしても、その作品(というよりも、正確にいえば「本」としての存在なのだが)が「事件」だと感じられれば、十分に文芸評論は「ノンフィクション」たりうる。私は小林秀雄のような「文芸作品としての批評」を書きたかったのではなくて、小説も非小説も本として存在するかぎり、同様に「事件」とみなせるのではないか、という直感から、そういうことを書いてみたいな、と思った。その初発の気持ちを、「村上氏の方法論」で採用されている井田真木子の「方法論」によって、思い出したのである。

しかし、日々こなしているうちに書評はルーチンとなり、「日常としての本」への評価、採点、せいぜいが感想となってしまう。語るべき事件がそうしょっちゅうあるわけがなく、新聞のタイクツな社会面、下手をすれば「新製品紹介」コーナーに堕してしまう。

だが「事件」としての本に対する文章は、その本の内容紹介や評価にはとどまらない。なにより、なぜその本が「事件」でありうるのか、その事件の背景や過去における類例、そして事件にかかわる多くの当事者への関心へと、その文章は向かうはずだ。そのようにして、私は最初の(そしてたぶん唯一の)まともな著作を書いた。井田真木子の文章を読んで、久しぶりにそういう文章をまた書きたい、と思ったのである。

『井田真木子著作撰集』を出した里山社は、知人がつくったひとり出版社であり、その仕事が順調に行ってほしいという、いわば身贔屓の気持ちもあるのだが、それにまさるものとして、この本を通して、井田真木子という物書きにあらためて出会えてよかった、という思いが強い。

主著の長編作品であれば、いまでもアマゾンで古書が買える。彼女の主著は文庫化されたのだから、少なくとも、市中に数百の単位でまだ残っているだろう。けれども、この『撰集』はあらたな編集の手を介することで、長編ノンフィクション、短編ノンフィクション、エッセイ、そして詩篇が有機的に配置されている。

誰だったか、本当にある作家のことを知りたかったら、「全集」ではなく、コンパクトな「選集」を読むのがいちばんいい、と言った評論家がいたような気がするが、『井田真木子著作撰集』は、まさにそのようなアンソロジーなのだ。なにより、このような編集がなされていなければ、私は「村上氏の方法論」などという短編ノンフィクションと出会う機会は一生なかっただろう。そもそも、「短編ノンフィクション」などという著作は、こういう本ででもなければ、初出の雑誌以外の読者とあらためて出会うことができない。

……というわけで、このところずっと『井田真木子著作撰集』の書評のまわりを迂回してばかりなのだが、これを最後の「外伝」として、そろそろ本編にとりかかります。それにしても売れてほしい。買って上げてください。執筆意欲を喪失している物書きへのご贈答にもいいかもしれませんよ?